中日は荒天停滞に
2021.04.25
昨日と同じように3時過ぎに起床。
ラジオ深夜便を聴きながら、歯磨きをして、少しずつ目を覚ましていく。外の状況は風もなく静まっているようだ。出発できる準備を整え、夜明けの5時過ぎにイグルー内から顔を出すと外は真っ白!明るくはなっているが太陽の姿はどこにもない。
これは…やっぱり停滞か。
しかし、山の天気はわからない。急に回復する可能性もあることも想定して、活動開始リミットを10時として、イグルー内で待機することにした。その間もラジオやネットで最新の天気予報の確認を続けた。
8時過ぎ、回復の兆しは一向になく、むしろ風雪が強まっていた。作ったイグルーの一部が溶けて隙間ができたため、補強する。
そして、10時を待たずに今日の停滞を決定した。
15時頃に一度青空が出たが、雪は降り続き、変な天気となった。
イグルー内で一度まとめた荷物を再び広げ、寝袋にくるまり、午後は昼寝をして、ここまでの睡眠不足を補った。少し気が抜けたのだろう。自覚している以上に心身が消耗していた。体力気力共にすり減る縦走後半を前に、結果的にちょうどよい停滞となった。
イグルーは作り上げるサイズにもよるが、テントと同じく2人分以上の床面積があると快適だ。しかし、あまり大きくすると製作時間がかかり、室内の温度が低くなりやすく、快適性が損なわれてしまう。
これまでの経験から、昨日作ったイグルーは半分が雪洞で半分がイグルーのため、すき間が少なく風の影響も受けにくいため、停滞としてはとてもいいシェルターとなった。
前日に頑張って作ったイグルーも翌朝には壊してしまうため、停滞したことで、その頑張りも報われた気がしていた。
イグルー内での生活は(見た目は)きれいな雪を鍋に入れてストーブにかけ溶かし、飲料水やアルファ米などの食事用に湯を沸かす作業と、それ以外の時間は地図を確認したり、スマホで天気予報を確認したり、排泄をしたりとすることはそう多くはない。後の時間は寝袋にくるまり身体を休める。しかし、あまり身体を動かさないでいると血の巡りが悪くなるため、時々身体を擦ったり、マッサージをしたりする。
それと、一番注意しなくてはいけないのが、寝袋等の防寒具を濡らさない事だ。
イグルーは隙間があると雪が吹き込むため、寝袋等が濡れてしまいやすい。そうならないためにも隙間をしっかり閉じることが大切だと身をもって学んだ。
停滞したことで、携帯してきた食糧も1日分減る。今夜はまとまった雪が降るらしく、明日はラッセルとなる可能性があるが、明日以降3日間は再び天気が良い予報だ。順調に進めば、28日には神威岳(かむいだけ)に登頂ができそうだ。
実は入山前から、28日以降の天気が気がかりとなっていた。1週間の内、最低一度の停滞は覚悟はしていたが、神威岳を前に停滞が増える(停滞2日以上)可能性もあった。
そのため、この縦走を成し遂げるために、本来4日かけて今いるビバーク地まで縦走する計画を3日間で乗り切る計画に変更していた。これは2日目(縦走1日目)、幌尻岳に登頂できるかできないかにかかっていて、登頂できたことで、半日短縮する事が成功した。さらに、3日目(縦走2日目)の戸蔦別岳からナメワッカ分岐手前までの13㎞にも及ぶ長丁場となった1日でさらに半日分を短縮する事ができて、1日分のゆとりを絞り出すことができたのだ。
これは毎日の頑張りと踏ん張りにより実現できたことであり、当初から今回の計画に自信があった訳ではない。なぜなら、どういう状況になるか、わからないことばかりだからだ。
ここまでうまくいってるのも、、前半3日間、日高山脈が穏やかだったからだ。
さらに、実はこの停滞中にもう一つ大きな決断をしていた。それは、下山口の変更だ。
天気予報によると28日夕方から雨となっている。計画では、縦走はソエマツ岳まで続け、29日に東側の支尾根からヌビナイ川へと下り、川沿いで1泊、30日に町の宿にたどり着く予定だった。
しかし、それでは、山中で雨に打たれる日が増える。29日も予報では夜から雨とあった。雨となってはイグルーは作れない。終盤で雨に打たれるならば、リスクを軽減できる西側の神威岳登山口に下山して、28日は登山口の山荘を利用すれば、より安全だと判断した。そうすれば、山荘にて雨もしのげ、町へたどり着く日も1日早くなる。しかし、この決断は簡単ではない。なぜなら、日高山脈縦走を終えた後に目指す山が山脈の東側だからだ。したがって、290座目の山までの移動距離が100㎞以上延びることでもあった。
最終的な決断は27日に無事ペテガリ岳まで登頂できてからにする事とし、停滞日の夜は静かに過ぎていった。
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