実家生活3か月経過
2021.02.21
あっという間に3か月が過ぎた。こんなにも1日が早く、1週間が早い時を過ごしたのはこの旅が始まってから、初めての経験だ。
リビングにある2つの時計の秒針が互いに競い合うようにカチカチとリズムを刻む。家の中だけが、異空間となっているような気がしてならない。
毎朝6時、起床する母の気配に目が覚める。
それからしばらくして6時15分、携帯電話のアラームが布団の中で鳴き叫ぶ。それで、起きたためしがないのだが、いつも目覚ましの設定は変えないままだ。
6時25分、母の日課となっているNHK Eテレ「朝の体操」がリビングで始まる。
目覚めのいい時は、このタイミングで起床なのだが、1週間で2度くらいだろうか。
3か月前の11月20日、暑寒別岳を登頂後、160キロを歩き富良野市へ、3百名山の旅をスタートさせて以来、初めて故郷の地を踏んだ。
そして、283座目の暑寒別岳をこの冬最後の山とし、2020年度の冬は、北海道の冬を実家で過ごすのはこととなった。
3百名山は「日本の四季を歩く」がテーマの一つ。北海道の冬も例外ではない。しかし、12月から2月までの最も厳しい3か月、山は一度も数日の好天が無かった。予報通りに山が姿を見せてくれた日が何回あっただろうか。遅くに晴れ、早くに曇り、冷たく強い北西風とともに、雪を着々と蓄える故郷の山々を麓から見る日々が続いた。
「一つ一つの山を丁寧に登る」を、ここまでできる限り実践してきた。それを北海道の冬山で実践するためには膨大な時間が必要だと、久しぶりの北海道の冬を実家で過ごす中で感じていた。
実家での日々は同じことの繰り返しだ。
6時半から7時過ぎに起床。朝食。8時から掃除洗濯や薪運搬、雪かき、昼食、休憩、トレーニング(1時間~2時間)、夕食、入浴、就寝。
この冬は例年よりも多い降雪と積雪だと近所のおじさんが言っていた。2日に1度は雪かきをしていたように思う。それでも、富良野市は夕張山地があるおかげで、山向こうの石狩や空知地方よりも積雪は少なくてすんでいる。岩見沢では観測史上最高の積雪を今月中にも記録しそうだ聞いた。
積雪量にもよるが、雪かきは始めれば最低1時間かかる。平均して2時間という感じだろうか。おかげで上半身の筋力がこの3か月間でかなり増えていた。
毎日同じことの繰り返しではあるが、両親と数か月にわたり生活を共にすることは、2007~2008年の冬以来のこと。大学卒業後、イーストウインドのメンバーとして群馬県を中心に親元を離れての活動が続いてきた。定期的に電話などで連絡を取ったり、数年に一度実家へ帰省したりすることもあったが、いつも数日だ。
20代の大半が国内外のアドベンチャーレースに挑戦する日々を過ごし、30代は歩き登り漕ぎ続けてきた。
自分自身も心身ともに変化し成長してきたこの十数年。同時に両親も変化していたことを、共に過ごす中で感じている。
この先のそれぞれの人生で、同じ時間を共有できる機会はどれくらい残っているかとふと思うこともある。それだけに、良し悪しはあるものの、この3か月間は自分の人生にとって貴重な時間となっている。
2年で終える計画だった3百名山の挑戦。もし計画通りに終えていたら、コロナ渦で今以上に困窮していたことは間違えないだろう。計画が様々なことにより、変更に変更が繰り返され、今、一つのことに打ち込み続けられていて、そのことに救われている自分がいる。約3か月後には38歳を迎え、40歳までもう間もなく。
自分に残された時間が、少しずつではあるが着実に減っていく中で、今はまだ身体が気持ちについてきてくれている。
厳しい冬が落ち着き、山が迎えてくれる条件が整うまで、もう少しだけ実家での生活は続く。