ね~ぷてぇ
2020.09.17
岩木山神社の鳥居の前で、岩木山に向かって手を合わせ、弘前市内へと歩き出した。夜明け前から強く雨が降ったが、宿を出る前には止み、岩木山にかかる雲は無かった。
弘前市内に入り、弘前城から遠くなったその姿を見るまで、「登るのは今日だったのかな。今日が正解だったかな。」と昨日の登拝登頂の決断に結果に揺らぐ自分がいた。
しかし、人間は不思議な生き物で、対象が見えなくなったり、興味が違うものへと向くと自然と気持ちが切り替わってしまうようだ。
ということで、最後の現存十二天守「弘前城」(東北では唯一)がその対象となってくれた。久しぶりの城、天守閣ということもあり、興味深々だ。
現在、弘前城は5年前に石垣崩壊の危険性から、修繕のために本来の位置から「ひきや」によって本丸中央へと移動されたため、通常の隅櫓(すみやぐら)を天守閣とした弘前城独特の景観ではなくなっていた。だが、そのおかげで、弘前城越しに岩木山が見え、移設後の春は、満開の桜と岩木山と弘前城が一緒に見られるとあって、すごい人気だという。
今年はここ弘前城でも、例外なく新型コロナウイルスの影響を受けて、全ての行事がキャンセルとなったそうだ。本来なら平日でも国内外のたくさんの観光客でにぎわっていると聞くが、数人の姿しかない。城をゆっくり見れるため、個人的には得している部分もあるが、地元にとってはかなりの痛手となっていることは間違えない。
隅櫓が天守閣となったため、見る方向により見え方が異なり、他の天守閣と比べると華やかさはない。しかし、それは築かれた時代背景を知れば納得できることだった。意外にも今の弘前城が建てられたのは幕末、天守閣を新築する事がなかなか幕府より許可が出なかったそうだ。それでも蝦夷地監視を理由に建てることが出来たそうだ。
弘前城内には古木名木も多く。地図を見ていて見つけた、日本一太いソメイヨシノにも出合うことが出来た。
弘前城を満喫したその足で、すぐ隣にある「ねぷた村」にも立ち寄り、ねぷた(ねぶた)祭りの歴史にも触れた。一番驚いたのは始まりが夏の死者の魂を弔うための「灯籠流し」だったそうで、この土地では「眠り流し」ともいわれ、夏場の眠気を吹き飛ばす意味も込められていたという。また、眠たいことを「ねぷてぇ~」と津軽弁で言っていたことから、ねぷた流しとなり、いつしか灯籠も大きく、競い合うように華やかさも出ていったそうだ。
ねぷたとねぶたの違いは内陸と海沿いで分かれるとのこと。各地域でねぷた・ねぶたの灯籠の形状も大きさも違い。大きさでは青森市、高さでは五所川原市だそうだ。また、祭りが終わると死者を弔うために、すぐに灯籠ははがされてしまうという。知らないことをたくさん吸収した1日となった。