岩木山とお山参詣
2020.09.16
例年、お山参詣の2日目が一番の盛り上がりとなると聞く。夜通し太鼓や笛などであちこちでお囃子が流れてくるそうだ。しかし、今年は朝から静まり返り、祭りが終わったあとのような雰囲気だ。
昨晩は早く寝付き、4時前に起床、5時に合わせて出発の準備を整えたが、出発直前で思わぬ雨となった。結局、出発は6年前と同じように6時半過ぎ。登る前からどうしても不安が募ってしまう。
岩木山神社の参道前に立つと、予想通り厚い雲に岩木山は包まれていた。今のところ、天気予報とは全く異なる状況だ。望みがなくなったわけではない。これから、登り始めている間に回復へときっと向かうと信じ、岩木山神社へ参拝し、奥宮へと続く百沢コースを登り始めた。
6年前のわずかに残る断片的な記憶を思い出すように。坊主転がしと言われる大沢までは、展望がほとんどない森の中をどんどん登る。山頂が近づくにつれて、傾斜はきつくなり、大沢からは上部の清水から流れる水により、川となり、滑りやすい岩場の連続となる。
6年前ほどの蒸し暑さはなく、むしろ吹き下ろす風は冷たく、錫杖清水(しゃくじょうしみず)を飲むとあまりの冷たさに身が凍った。インナーシャツを1枚着込み、さらにジャケットを一枚羽織った。
依然として、上空の雲は晴れず、強い風で絶えず雲が湧いて来るようだった。清水まで回復を信じ快調に登ってきた足取りに迷いが生じた。
「このまま登って、本当に晴れてくれるのか」「山頂で待てる覚悟はあるのか」「もし、前回のように雷雨となってしまったら」
ここまで抱かずにきた不安が一気にこみ上げた。
展望リフトからの登山道との合流直前で、山頂を目指す登山者の声が聞こえてきた。1人2人ではない。雲で視界が効かないが、多数いる。その声に誘われるように、止まっていた足がゆっくりと前へ上へと引き寄せられるように出た。自分の意志ではなく、声に勇気をもらい背を押されるような感覚だ。しかし、自分自身の中では気持ちの整理が出来ていなかった。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」という表現はちょっと適切ではないが、近い感覚だ。
合流から10分ほどで、突如雲の中から見たことのある大きな三角形の山頂碑が現れた。突然過ぎて、結局整理が出来ずに登頂してしまった。
山頂を通り過ぎ、山頂の奥宮へと進んだ。こんな気持ちで登頂してしまった自分に「情けない、山に対して失礼だ」という思いだった。
東北も残り2座というのに、しっかりと納得せずにここまできてしまったことは否定できないでいた。荷を下ろし、奥宮正面に回り込んだ。そこで、深く6年前のこと、6年ぶり、お山参詣の大切な日に登頂させていただけたこと、そして、気持ちに迷いがありながら登ってきてしまったことと、今の素直な気持ちを伝えた。
参拝を終えると少し雲が薄くなり、登頂時は雲が濃くて分からなかったが、予想以上にたくさんの登山者がいた。中には登山向きでは無い人も。前回はお山参詣直前だったため、開かれていなかった奥宮の社務所が、この期間3日間だけ開かれているという。登山者の多くがお山参詣に合わせての奥宮参拝と1年で3日間だけ手にすることができる限定の御朱印や御守りなどが目的のようだ。
社務所の神職の方に話を伺うと、例年は明日のご来光を見る「朔日山(ついたちやま)」では、500人以上の登拝者で山頂が埋め尽くされるという。今年はそのご来光登山も禁止され、オンラインでの朔日山になるそうだ。
山頂に吹き付ける風は明らかに秋の風で、天候回復を待つ間にどんどん体温が奪われた。
湯を沸かし、空のペットボトルに入れて、急遽湯たんぽを作った。時間とともにいつしか登頂時の雷雨への不安は薄れていた。
不思議と山頂に居合わせた他の登山者が作り出す雰囲気により、雲が晴れるまで待ってみようという気持ちにさせてくれた。
少し早めの昼食を取りながら、雲の晴れ間を1時間ほど待っていると、奥宮の前にかかる雲が風と共に上空に押し上げられて、眼下に弘前市の街並みと、津軽平野が広がった。
自分が声をあげる前に、たくさんの登山者が歓喜の声を上げていた。少し遅れて控えめに喜びとどこか安堵するような声が出た。途切れ途切れではあったが、晴れる時間も長く、日本海も遠望できた。気づくと山頂に2時間半も過ごしていた。
下山直前にもう一度、奥宮にて晴れてくれたこと、待つ間に雷雨にならなかったことの感謝を込めて手を合わせ、2時半前に無事岩木山神社へと下山をした。
下山すると本殿前の楼門横で、登山囃子と下山囃子を神様に奉納する場面に居合わせた。ゆったりとした山を登っていくスピードに合わせるようなリズムの登山囃子と、登頂の喜びと駆け下りるような下山のスピード感が伝わってくるテンポのよい下山囃子を間近で聞き比べることができたのは、岩木山からのご褒美だったかもしれない。
無事の下山から、下山囃子を聞いたことで、最後はお山参詣という特別な期間に岩木山へ登頂できたことで救われる自分がいた。
この日の晩、4回目の線香花火をして、ようやく、東北も残り1座となったことを実感した。
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