東北北部最難関の山
2020.08.29
夜明け前の4時に起床。すぐに歯を磨き、顔を洗って目を覚ます。ゆっくり水を飲みながら、体を起こしていく。少し落ち着いたところで、宿にお願いしたおにぎり弁当を食べた。
静かに食事を済ませ、食後の休憩も早々に5時に部屋を出た。いつもよりも緊張しているのがよく分かる。昨夜は夢で和賀岳(わがだけ)に登る自分を見た。夢では登山中にトラブルが発生していた。それが正夢にならないようにと、出発から表情は険しくなった。
前回は、梅雨時期の和賀岳初登山で、白岩岳からの険しい縦走ルートを登ったが、今回は一番使われる真木渓谷(まぎけいこく)にある薬師岳登山口からの往復ルートを選択した。
宿から登山口までは片道13キロ、内8キロが林道だ。最後の民家を過ぎると早速砂利道となる。すると、一匹、また一匹と天敵メジロアブが体の周りをぐるぐると飛び回り、集まり出す。走って振り切ろうにも無駄な体力を使ってしまうため気にせず走るが、気にならないわけがない。気を抜くと体のあちこちに飛び付き、容赦なく刺してくる。さらに厄介な虫、藪蚊が大量にふくらはぎ中心に群がってきた。メジロアブよりも数が多く、あっという間にふくらはぎは刺されまくり、熱を帯び始めた。
この状況は、登山口からも続き、たくさんの藪蚊に血を分け与える結果となった。
宿を出発から2時間。走った甲斐もあり、予定よりも早く登山をスタート。少し急いでいたのは、予報で午後から天気が崩れるとなっていたからだ。
今日、登らない選択もあったが、次のチャンスが4日後の火曜日以降となってしまうことや、岩手山から続いてきたいい流れを途切れさせたくないも強く働いていた。
昨日まで続いてきた快晴ではないが、間違えなく5年前よりは好条件。展望を優先させたり、山を楽しめたりする気持ちよりも、無事に何事もなく登頂させてもらい、下山できたらそれで十分だとも思っていた。
前回はかなり不安感や緊張感が高い状態で登ったが、ルートや状況は違えど、今回も決して低くはない。登る足取りにも力が入る。途中標高800メートル付近の最後の水場で、蒸し暑さで火照る体と気持ちを少し落ち着かせた。そこから最初のピーク薬師岳までは休みなく一気に登る。薬師岳から先は、少し緊張感が緩んでしまうような気持ちいい稜線歩きとなる。薬師岳までの険しい道のりからは想像できなかった。
前回は終始濃霧のため、和賀岳へと続く主稜線が、どんなつながりをしているか見えなかったため、青空ではないが、全体像が分かりそれだけでも満足していた。アザミやハクサンシャジン、リンドウ、キリンソウ、ウメバチソウなどたくさん花もまだまだあり、少しだけ笑顔を浮かべながら歩くことが出来た。
小杉山を経由、ここから山頂までは5年前も歩いているが、当時はこんな道のりだったとは全く想像できなかった。未だに和賀岳山頂だけ湧き上がる雲に包まれたままだが、稜線は風が抜けて、蒸し暑さからも解放された。
快晴なら炎天下の稜線歩き。間違えなく今より暑さは厳しくなる。残暑で毎日体力をすり減らしてきたが、かえって緊張感が高い和賀岳で涼しさを得られながら登れたのは、余計な体力の消耗がなく良かったかもしれない。
出発から2時間半、無事に登頂となった。山頂だけは、5年前と同じ状況。それでも、ホッとする自分がいた。その気持ちを山頂の小さなお社に手を合わせて感謝した。山頂で1時間近く晴れてくれることを願い、待ってみたが、下山の時間を考えて、10時半に山頂を後にした。
1時間後、薬師岳に着き振り返ってみると、和賀岳にかかっていた雲は無くなり、見えなくなる最後のチャンスで顔をお披露目してくれた。改めて、奥深く一歩も二歩も引いた場所でたくさんの山々に囲まれ、静かに鎮座しているように見えた。
わずかな時間だが、自分が歩き登り、登頂から今の場所まで引き返してきた稜線と和賀岳まで、ひとつながりで見渡せた。たったそれだけ?と思われるかもしれないが、何日も何ヶ月も何年も歩き登り続けてきたからこそ、270座目という節目にもたどり着けた。
久しぶりの高い緊張感に包まれ、不安が募っていた1日の、最後のご褒美のようにも思えた。
決して大げさではない。この時、そう感じたのだから。
薬師岳から下り始めると、地元のご年配の登山者が登ってきた。最高齢は82歳という。両脚が攣(つ)りながらも、山頂までほんの少しの所まで来ていた。すれ違い様、「大丈夫ですか。お気をつけて」と声をかけると、にっこりと「脚がゆうこときかなくなっちゃって…ありがとう」と足取りはゆっくりだが、目は輝いているように見えた。
見えなくなる最後、振り返って手を振ると仲間と共に手を振り返してくれた。
それから間もなく、今度は、急斜面の登山道を草刈りする地元の方々が、お昼休みをされていた。
登山道の草刈り経験があるだけに、その大変さは知っている。蒸し暑さの中の作業と、刈り払いされたばかりの歩きやすい登山道に「ありがとうございます!」と手を振りお礼を言った。
その後1時間ほどで下山。再びメジロアブと藪蚊と格闘しながら、林道を走った。途中にある真木白滝にて和賀岳でかいた大量の汗を強力に流し、さっぱりすっきり、気持ちはさらに晴れやかに。東北は残り5座となった。
夜、宿の企画で花火大会が開催された。
旅の最中に打ち上げ花火を直に見るのは初めてのこと、わずか3分だったが、胸に響き、夜空に輝く大輪が今年の夏の終わりを告げているようだった。
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