実体験に触れて
2020.08.12
釜石市内の発電所から立ち上る煙と雨が、ホテルの窓から見えた。昨日は岩手県内で一番暑くなった釜石市も、朝は少し歩きやすそうだ。昨晩は熱中症の症状回復させるために、徹底して身体を冷やしたおかげで、体力も気力も回復した。
2日目も元気にスタート。まずは長いトンネルを抜けた先にある釜石鵜住居(かまいしうのすまい)復興スタジアムを目指した。
ここは、昨年熱狂したラグビーワールドカップの会場となったスタジアム。旅先のテレビで、何度も目にしたことは記憶に新しい。
鵜住居(うのすまい)に入ると、高台にスタジアムかと間違ってしまうほど、大きな小中学校が目を引いた。スタジアムに着いて知ったが、スタジアムは津波が直撃した小中学校の跡地に建てられたのだった。
スタジアムまでの道のり、川向こうに広がる住宅地はまだまだ疎らで、建つ家はどれも新築だ。
スタジアムに着くと、芝生の刈り込みをする作業員の姿しかなく、とても静かだった。一般的なスタジアムとは違い、とてもオープンな感じ。バックスタンドにも自由に入れ、席に座り、メインスタンドとグラウンドを見渡すと、当時の歓声がまだ残っているような雰囲気があった。
その後、駅前にあるいのちをつなぐ未来館へと足を運んだ。
地震と津波による影響で、ここ鵜住居地区に何があったのかを後世に伝えていくような施設だ。
昨日も感じたことだが、ひとえに津波の影響といえど、人々や土地に与えた大きさやダメージは様々。一括りには到底出来ない。釜石市内ではここ鵜住居が一番の影響を受けたという。
また、各地で震災遺構として建物などを残す取り組みがあるが、ここ鵜住居は全て残さない決断を住民たちでしたという。そのため、今となっては、津波前、直後のことを知ることが出来るのは未来館だけとなった。
その中で、一際目を引いたのが、600人の小中学校や園児たちが津波から逃げのびたという実話を元に描かれた絵だった。これは、「はしれ、上へ!つなみてんでんこ」というタイトルで絵本になっている。高台へと津波から一目散に逃げる当時の小中学生や先生たちの姿、中学生が小さな小学生の手を引き、先生が最後尾を走る光景が描かれていた。
そして、「釜石の奇跡」として現在も語り継がれている。
未来館には、当時中学生で、必死に逃げる絵に描かれている光景の中、正にその時を経験していた女性が、語り部の一人として働いていた。その方の言葉にも、奇跡などではなく、地震の1年前から始まった地震と津波の防災訓練や「自分の命は自分で守れ」を意識する日常があったから、ひとりの犠牲者も出さずに、逃げ切ることができたという。
そして、いついかなる時のため、日頃からの備えと訓練がいかに大切であるかが、生きた言葉としてしっかりと届いた。
想像を絶する経験をされたにも関わらず、穏やかに話してくれる女性の姿がとても印象的だった。単純に時間が解決してくれただけではない、何かがある気がしてならなかった。
きっとこの地を思い、未来へと踏み出し、前へと歩んでいる人が一人ではなく、たくさん居るからだろう。
平日ではあったが、入れ替わり立ち替わり、未来館を訪れる人の姿があり、なぜか自然と嬉しくなった。
鵜住居を後にする前に、釜石祈りのパークにて、犠牲になられた方々に手を合わせて、追悼した。
この日の午後は、変わりゆく街並み、未だに完成しない防潮堤を目にしながら、賑わいが戻る山田町にて宿をとった。