日記

飯豊連峰初日
2020.03.14

総重量が20キロを軽く超えるパンパンのバックパックを背に、夜が明けて間もない時間に出発した。
昨年の11月30日に、杁差岳(えぶりさしだけ)に登って以来、3ヶ月半ぶりに飯豊(いいで)連峰へと再び足を踏み入れる。

今回の計画は、1日目に、宿泊先であるいいでのゆから、三国岳避難小屋まで登る。コンディションが良ければ、切合(きりあわせ)小屋まで行けたら、という計画をした。
2日目は三国岳避難小屋を起点に本峰、飯豊山への登頂を目指す。そして、再び三国岳避難小屋へと戻ってくる。
3日目はいいでのゆへと下山する。
天候急変などによる山小屋停滞も加味し、4日分の食料を用意して、2泊3日の計画とした。

3ヶ月半、常に頭で大きな存在となっていた冬の飯豊山。縦走したい気持ちが強かったが、身を持ってそれがどれほど可能性が低いことなのかを知った。そして、今回の計画ですら、実現するための条件が揃わなくては難しいことだとわかっていた。
昨日の下見により、決行の決心がつき、緊張感は高いが、迷いはなかった。意外にも気持ちは落ち着いていたように思う。

早足で登山口の川入へ向かう。1時間20分で到着、さらに御沢登山口へと林道を奥へと入った。昨晩はそれほど冷え込まなかったため、すでに雪は緩んでザクザクだった。登山口に残置したスノーシューを履いて、急な長坂を登った。
気温が高いためか、低い雲が山を包んでいた。昨日は見えた吾妻連峰や磐梯山は全く見えない。ますます視界が悪くなる中、不安が高まった。

宿出発から5時間程で、地蔵山を越えた。そこから先は、今回のルート上で一番の難所となる。場所の名は「剣ヶ峰」、夏場は急峻な岩稜だ。そこに雪が積もり、名のごとく刃先のような雪稜をつくる。さらに厄介なことに、東西に延びた尾根のため、左右に大きな雪庇ができるという。細く切り立っているために、雪庇を踏み抜く可能性が高い。とてもリスクが高いルートだ。
前日の下見で遠目からは大きな雪庇があるようには見えなかった。今年の雪の少なさが幸いしていることを信じて、視界20メートルの中を慎重に進んだ。ホワイトアウト間近の状況下でも、足元と数メートル先はスミスの偏光レンズのサングラスのおかげでしっかりと見えている。あとは最後まで冷静で焦らず進むことができるかだ。

GPSを確認しながら、徐々に標高を上げていく、見えないことで高度感はないが、滑落の恐怖は拭えない。見えている範囲だけでも、1日目最大の核心部が近づいたことがわかった。ゆっくりゆっくりとスノーシューで登ってきたが、さすがにこの先は難しいと判断して、アイゼンとピッケルに切り替えた。包み込む雲は濃くなっていったが、小屋が目と鼻の先だとGPSで確認できたことで、急ぐ必要もなく、じっくりと確実な一歩を刻んだ。

地蔵山から1時間で、無事に最難関を登り切ることができた。まだ、時刻は午後1時前、切合小屋まで進んでもよかったが、視界不良の中でこの先も剣ヶ峰と同じような緊張感と集中力を維持する自信がなかったため、当初の計画通りに1日目は三国岳避難小屋までとした。ほとんど雪に埋まっていない三国岳避難小屋はかなりしっかりした造りで、中もとてもきれいだった。室温は2度、氷点下の外に比べたらわずかな気温差だが、とても暖かく感じた。

午後は、荷物を整理したり、雪を溶かして水を作ったり、濡れたものを乾かしながら、ゆとりある時間を小屋の中で過ごした。
夕食をたらふく食べた後、寝袋にくるまりながら、気持ちは翌日に向いていた。
明日は予報通りに晴れてくれるだろうか。不安を抱えつつ寝付いた。

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