122座~150座を振り返って
2019.05.22
昨年は登った山の印象を定期的に日記でまとめていた。しかし、今年はすっかり忘れてしまっていた。
ということで、今回は122座目 目から150座目 までを発表する!
[122座目 筑波山]
2019年カウントアップ、ガマの口上は必見です♪
[123座目 八溝山]
冬晴の登頂、湧水群はカチンコチン。氷柱を溶かして、山頂でコーヒーブレイクは良い思い出です。
[124座目 大滝根山]
一晩で銀世界に、山頂は自衛隊の基地の中。たくさんの隊員の方々に歓迎されての登頂。さぁ~南下です。
[125座目 高原山]
緊張の雪山へ、初めましての山は慎重に、下見をしてじっくりと登山日を待ちました。おかげで素晴らしいコンディションで登頂。
[126座目 赤城山]
何度も登った山だけど、冬は初体験。ワカサギ釣りと油氷は良い経験になりました。
[127座目 榛名山]
日本最高所のスケートリンクでスピードスケートに熱中。榛名山の高峰三座を登って。
[128座目 浅間隠山]
予定外の冬期は登山道閉鎖、なんとか古道で山を回り込み、その日の内に登頂。今年一番の寒波襲来で山頂は極寒でした。
[129座目 両神山]
10年ぶりに日向大谷口から登る。山荘のご夫婦から、両神山の信仰と歴史について教えていただけた。4回目で一番深く山と向き合えた気がする。
[130座目 武甲山]
崩される前の山は今よりも30メートル以上も高かった。この山から奪った恵みにより、自分たちの生活が助けられていることを忘れてはならない。
[131座目 大岳山]
前回は山頂からは富士山は見えず、今回は間に合いました。山頂標識が立派になっていてビックリ。
[132座目 三頭山]
ハセツネのレース、トレーニングで通過して以来の登頂。奥多摩三山を1日で縦走。
[133座目 金時山]
懐かしい思い出がある山。山頂の野良猫たちと、富士山が顔を出すのを待ったけど…翌朝リベンジで登ったけど雨。それでも、毎日登る地元の方々と出会うことができた。3000回、4000回、5000回!
[134座目 箱根山]
火山活動中のため、入山規制中のため大涌谷まで。7月までに規制解除されれば、また登りにきます。
[135座目 天城山]
5年前は全身の揉み返しで、フラフラになり、歩くことが精一杯。今回は逆ルートで天城山縦走コースを天城トンネルまで笑顔で駆け抜けた。
[136座目 愛鷹山]
4年前はどの山が愛鷹山?今回は沼津市から愛鷹山全山縦走、最高峰が必ずしもその山を指し示すわけではない。麓から見える山が愛鷹山だ。
[137座目 野伏ヶ岳]
6か月ぶりに帰ってきました。手は完治、そして、初のスキー登山に挑戦。雪が少なすぎたけど、次につながる経験ができた。山頂から見た山々は、6か月前とは別世界だった。
[138座目 猿ヶ馬場山]
この時期に登ってこそ、この山の魅力に触れられる。素晴らしいコンディションで気分上々。
[139座目 笈ヶ岳]
3日分の食料を背負い縦走登山、山頂で4年前のことを謝った。そして、今回も登らせていただけたことへの感謝。
[140座目 青海黒姫山]
予想外の大雪で、雪崩のリスクが高まる。登りたいと登れるの狭間を歩く。山頂から見た頸城の山々はまさに厳冬期だ。
[141座目 米山]
白山を開山した泰澄大師がこの山も開山。米山さんと親しまれ、山頂からは佐渡島や弓なりの新潟の海岸線が一望できた。遠くから見れば海からそびえる姿がカッコいい。
[142座目 斑尾山]
妙高山を目の前に、ちょっとブレイクタイム。1日だけ春の暖かさとなり、山頂では昼寝もしてしまった。野尻湖や北信五岳、北アルプスの眺めは抜群です。
[143座目 妙高山]
頸城山塊最難関、最大級の緊張となったスキー縦走。登頂時は自然と雄叫び。
[144座目 火打山]
冬毛の雷鳥との出会い。春山も女性的な山並みは健在。
[145座目 雨飾山]
どこまでスキーを履いたまま登れるか!
[146座目 焼山]
昨年末に入山規制が解除されて、登れることになった山。火口から煙は立ち上ぼり、活火山は健在。下山は大斜面を滑降。
[147座目 黒姫山]
2回目のスキー縦走最終日は、心身ともに疲労がピーク。初夏並みに気温が上がり、雪はどんどん溶けていく。山頂の祠を掘り出して、お礼を伝えた。
[148座目 飯綱山]
天候を優先して、日帰りでスキー登山。アドベンチャーレースをゴールした時のような疲労感が残る体に鞭打って登った。山頂からの眺めでやっぱり長野県はたくさんの山々に囲まれていることを実感。
[149座目 高妻山]
前日の降雪により一晩で山は真っ白く、新雪の下はカリカリに凍る急登のヒゲスリは慎重に。5年ぶりの山頂からの景色に、自然と笑顔が溢れた。
[150座目 戸隠山]
4年ぶりに2回目だけど、やっぱり蟻の戸渡りは怖かった。偶然にも、平成で150座目 となり、ここまでの道のりは決してあっという間ではなかった。