今年最後の山
2018.12.02
失効してしまった運転免許証を再取得するために、恵那山からは最短ルートで、山をつなぎながら神奈川県まで戻ってきた。
当初の計画通りであれば、これから登る「大山」は205座目の予定であった。しかし、旅はケガや自然現象の影響により、予想以上に時間がかかってしまった。旅は「生き物」のようなものだから、予定通りに進まないことへの不安や後悔は一切ない。
大山は年間約5万人の参拝者がいると聞いた。だが、最盛期の江戸時代では年間に20万もの人々が、3、4日もかけて、江戸から歩いていたという。
現代と比べれば、雲泥の差の移動方法だ。当時の人たちにとって「大山詣り」が「ディズニーランド」に行くような気持だったと聞いても、信じられないだろう。
僕もその話を、代々受け継がれる「伝道師」の方から伺って驚いた。
時代は江戸後期、庶民の生活にも少しゆとりが出てきたが、自由に遠出をすることを許されなかったという。しかし、「大山詣り」だけは許されており、修験道とは大きくかけ離れた旅行や娯楽のために、登った人も多くいたという。
大山から下山したのちに、江戸の庶民は江の島を経由して帰ったそうだ。また、下社の大山阿夫利神社から本社へは、一年で一ヶ月ほどしか開門せず、女人禁制のため、限られた人しか登ることが許されなかったそうだ。それ以外の時期は厳重に鍵がかけられて、鍵を守る講の方々が、毎年江戸から歩いて開けに来たという。
初めて登る人はあまりの斜度にびっくりする男坂をガンガン登った。下社に着く頃にはケーブルカーを使って登ってきた観光客ですでににぎわっていた。
神様にご挨拶とお礼を伝え、本社のある山頂へと向かった。山頂までは28丁、丁石を数えながら、標高をどんどん稼ぐ。
天気予報では晴れとなっていたが、どんどん空はどんよりと曇天となった。山頂から都心の眺めを楽しみにしたが、それは叶わなかった。
富士山も見える場所があったのだが見えず、本当に昨日が最後となってしまった。(昨日SNSへの投稿で「最後の富士山」と書いてしまっていたのだ)
12時を過ぎると、山頂は見る見るうちに人であふれた。
山頂でランチを楽しむ人たちと入れ替わるように、自宅のある相模原市へ向けて、日向薬師方面へと下山した。
山頂にいる時すっきり晴れなかったことに、少しだけ満面の笑顔とはならなかったが、下山してどんどん見慣れた街並みが近づいていくと気分は晴れやかになっていった。
「ただいま~」これまで使った装備とこれから使う装備で溢れるわが家にたどり着いた。
さぁ、まずは寝床を確保するところから始めよう。
※この日はYAMAPのログ取得に失敗してしまいました。ゴメンナサイ!