日記

美濃馬場から
2018.09.01

白山へ向かう前に、美濃側の白山信仰の拠点となる、長滝白山神社(ながたきはくさんじんじゃ)へ立ち寄ることにした。
ここは主に東海地方から美濃禅定道(みのぜんじょうどう)を行く人たちの入り口となる場所。
宮司さんから、白山信仰の歴史、三馬場(さんばんば/さんばば)の歴史、長滝白山神社の歴史、美濃馬場の役割など、様々なことを教えていたただくことができた。

その中で、一番印象深かったことがある。
馬場は本来、神域に入るために下馬下乗の意味をなしていた。ところが、白山信仰の広まりと共に、三馬場の存在が知れ渡り、馬場=行場(修験)の意味合いが含まれることで、長滝白山神社は美濃馬場と総称して呼ばれるようになった。禅定道の途中には、行場を南竜ヶ馬場(みなみりゅうがばんば)と呼ぶ場所も未だに残っている。

馬場=行場となった背景には、白山を神とし、御神体する白山信仰では、神域に入る前に馬場にて、入山(入峰)前の準備をし、馬場に来たものは、お経を唱えたり、堂入りしたり、説教を受けたりと、心身を浄め(清め)、整えてから禅定道を歩き、白山を目指したということがある。したがって、美濃馬場(長滝白山神社)は現在、神社で多く見られる何かを祈願する場ではなく、白山に登拝するための準備の場であるということに胸打たれた。

今は山との関わり方の多くが、登山をして、山からの景色や、動植物園たちに出会い、感動するだけ。
先祖が代々受け継いできた人と山との本来の関わり方を、自分を含む多くの日本人は忘れてしまっていることに気付かされた。
改めて、長滝白山神社に立ち寄り、略儀ながら、挨拶とお礼を伝えてから、美濃禅定道へ入ることができて良かったと感じた。

 この日記に書かれている場所はこの辺りです