大峯奥駈道3日目
2018.07.15
大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の南部は南奥駈道とも言われ、明治の神仏分離や修験道廃止により、大峯奥駈道もその影響を受けたという。その後修験道は復活したが、主に歩かれていたのは大峯奥駈道の吉野山から前鬼(ぜんき)まで。南奥崖道は荒廃が進み、背の高い笹藪に覆われてしまっていたという。
再び道を復活させようと、一人の方が立ち上がり、その意思を受け継いだ方々(新宮山彦ぐるーぷ)の絶え間ない活動により、今も道は維持されている。
その事を、途中で立ち寄った大日岳山頂でそのグループの方々に偶然出会い、教えていただくことができた。出会ったときも山頂の大きな仏像の土台を修繕されていた。ここもまた、自分の知らない方々の力により、守られていることに感謝した。
3日目も暑さで大量の汗をかき、大量の水分補給が必要となった。大峯奥駈道は水場が少なく、また、夏場には枯れてしまうこともある。したがって、どんなに時間がかかっても、補給できる場所で補給するしかない。
山頂に大きな御釈迦様が立つ釈迦ヶ岳の直前にある「深仙の宿」の水場で、20分以上時間をかけて、約2リットルを補給した。
3年ぶりの釈迦ヶ岳の山頂に到着して、大峯奥駈道の中間地点まで無事にたどり着いたことを御釈迦様に伝え、八経ヶ岳へ向けて険しい岩場へと進んだ。道のりそのものが行場のようだった。
途中で那智勝浦の青岸渡寺からの修験者の方とお会いした。許しを得て、靡(なびき)での行を見学させてもらった。
修験道が盛んだった時代には100を超える靡があったが、現在は76まで減ってしまっている。そのすべてで行をするのだが、平均で15分程と聞くが、時間は場所や人によっても変わるという。法螺貝が山と胸に響き、お経が心地よく聞こえた。山には草木や花、石や岩あらゆるものに神や仏は存在し、日々の感謝の気持ちを伝え、力の源である山からパワーをいただくことができると修験者の方は言った。
通じるものを感じ、八経ヶ岳へと向かった。
4年ぶりの八経ヶ岳からの眺めは忘れてしまった記憶の断片を修復するように遠くまで見渡すことができた。
3日目の晩は、弥山の山小屋で一泊、三連休のためテント泊の登山者も多数いた。久しぶりの有人小屋で、他の登山者とも会話が弾み、夜は更けていった。
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