高野参拝道
2018.07.03
紀の川を渡り、高野山へと続く道へ。
昨晩、粉河寺(こかわでら)でいただいた和歌山県の観光マップを見ていて、高野山への道には紀の川沿いからも古道が出ていることを知った。
また、その地図には最近世界遺産に登録された、1200年の高野山の歴史を上回る1700年の歴史をもつ丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)も紹介されていた。これまでの旅では神社仏閣の歴史のほとんどが1200~1300年に集中していたので、それよりもさらに古い歴史に興味を持った。きっと役行者の足跡をあると考えた。
丹生酒殿神社(にうさかどのじんじゃ)から、丹生都比売神社への最短ルートとなる急坂の三谷坂(みたにざか)を登った。峠を越えて、山間の小さな盆地となる天野に出ると、鮮やかな朱色の丹生都比売神社が姿を現した。
鳥居をくぐり抜け、太鼓橋を渡り、本殿へ…。
本殿は4つもあり、近くまで立ち入ることはできないが、楼門から覗くと、それはそれはきらびやかで、豪華な本殿だ。
四人の神様がいらっしゃるのだが、三人は女性の神様で一人はその子供となるそうだ。
参拝後に宮司さんと話すきっかけを頂き、高野山を含めたこのあたり一帯は丹生都比売神社の所有地だったため、1200年前に弘法大師はここへ来て、高野山に寺を開くことの許しを得たそうだ。また、その時に白い犬が高野山まで弘法大師を道案内したといわれている。
さらに、高野山へは丹生都比売神社を経由して登っていくのが正式な参詣道だったそうだ。そのため、当時から高野山と丹生都比売神社は深い関係があり、今でもそのつながりは大切に守られているという。
宮司さんに役行者の足跡を聞いたところ、日本最初の修験道となった葛城修験を役行者が歩き、年に一回ご本尊を抱えて、葛城修験を回ってくる行事があったことを教えていただいた。
そのあとは、二つ鳥居から町石道に合流して、高野山を目指した。町石道は距離を示す石が一(距離の単位、一町で109メートル)毎に道沿いに立ち並んでいるために、そう呼ばれている。石はかなり立派で、慈尊院から金堂までの180町を結び、石は五輪塔でもあり、梵字で「地水火風空」が刻まれている。
それをカウントダウンするように、しっかりと整備された道を歩いた。
途中には、車道に出たり、集落に出たりもするが、ほとんどは未舗装の道となる。また、弘法大師が袈裟をかけたといわれる特徴的な岩「袈裟掛石(※)」も参詣道沿いにあった。
※「袈裟掛石」は別名「くぐり石」と言われ、この石の下をくぐると長生きすると言い伝えられているそうです。
夕方、高野山の入り口となる大門に到着した。
その名の通り、左右に仁王像を従えたどでかい門だ。大門をくぐり抜け、金堂、根本大塔を見上げて、胎蔵界から金剛界へと入った。1200年の時を経た今も生き続けていることを感じる1日となった。
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