日本最古の蔓牛
2018.06.01
岡山県新見市に今年の春まで住んでいた友人夫婦から、新見市には日本最古の蔓牛(つるうし)「千屋牛(ちやうし)」がいるから、是非食べたらいいよ~と聞いていた。
どこで育て、食べることができるか分からないまま、鳥取県へと続く道を歩いていると、看板に「千屋」の文字が。
もしかしてこのあたりなのかな~と歩くが、牛舎らしい建物や牛の姿は見当たらない。
すると牛よりも先に千屋牛専門のレストランと日本最古の蔓牛千屋牛の幟が目に留まった。
お昼前だったが、11時の営業だったので、早めのお昼にした。
メニューを見てビックリというかやっぱり!!
ステーキや焼き肉は手が届かないお値段、お肉そのものを味わいたかったが、あきらめた。
それでも、リーズナブルなメニューはあるもので、1500円の千屋牛トッピングのダムカレーを注文した。話を伺うと新見市はダムの聖地でもあるようだ。
調理中は隣接する千屋牛の資料館へ。千屋牛の名声には、太田辰五郎さんという地域産業の発展に力を入れた方の存在が欠かせないことや、農耕牛として活躍してきた歴史には、手綱一本で自在に操る調教技術があったこと、昭和天皇もご覧になられたという牛の碁盤乗りはかなりの技術が必要だったことも知ることができた。牛の碁盤乗りは地元の高校生がその技術を守っているという。
そうこうしているうちに、待望のダムカレーができた。カレーを食べる前に、まずは脂ののった千屋牛を口へ運んだ。
甘く深い味の脂が口に溢れ、あっという間に胃に吸い込まれた。「上手い!」
千屋牛の特徴を店主に伺うと、やはり脂が甘く肉が柔らかいという。
農耕が牛から機械へと変わっていくなかで、家族のように重宝された牛たちにも変化があり、今では食肉用として育てられるようになっていった。
人間の生活環境の変化で、牛たちの在り方も大きく変わったことを知ると、味わいながらも感慨深くなった。
店を後にしたあとは、実際に千屋牛を見てみたくなり、畜産家の方を尋ねた。昔は各家庭に一頭はいた牛も、今となっては千屋牛を育てているのは、数軒ほどとなったそうだ。
地元の元気なおばちゃんに紹介していただいた畜産家のおじさんから、千屋牛の現状や日本の畜産家の話を聞くことができた。
太らせて美味しいお肉になる牛と、農耕として活躍してきた牛の姿は全く違うものという。同じ牛でも今の牛は太りすぎて農耕牛としては役にはたたないそうだ。また、大規模な畜産施設で育てるところが主流になる中で、正直個人での畜産には限界があるという。
飼料や備品は値上がりし、牛を5頭育てるのが精一杯、輸入ものの干し草一つでなんと3000円もする。
毎日一つを消費するため、単純計算だど干し草だけで、一年で1,095,000円も出費することになる。生き物を育てる難しさは、長い経験を積んできても、未だに分からないことが多く、毎年毎年が挑戦だという。「博打に近い」と大笑いしながら例えて言うおじさんの姿が印象的だった。
土俵は違えど80歳を過ぎた今も挑戦を続ける姿がかっこいいと感じた。
たくさんの発見と学び、パワーをもらい、大山の待つ鳥取県に入った。