日記

日本一の高い山城
2018.05.31

二百名山の時以来3年ぶりの高梁市(たかはしし)はだいぶん様変わりしていた。
変わらぬ城下町の姿もあったが、駅は近代的な建物となり、隣接する大きな建物は、おしゃれなレストランやカフェ、図書館やなどが入っている複合施設となっていた。
以前来たときに見た、歴史ある城下町を感じる駅舎はなくなっていた。
古きよきものにはたくさんの歴史と人々の思い出がいっぱい詰まっている。何が大切であり、どう残し現代の生活に活用していけばいいのかを、今一度考える機会になった。

流通の早い都市部に比べて、田舎は遅いが、それだけ考えて選択していく時間があると考えていけばいいのかと思う。都市部に遅れをとらないようにすることがいいとは限らない。
どんなに最先端に追い付こうとしても、そこに生きる人たちのリズムが違うのだから。
日本の良さを今も大切にしている田舎にこそ、宝物がいっぱい詰まっているはずた!

ということで、標高480メートルの山頂に築かれた現存十二天守の一つ備中松山城にどしゃ降りの雷雨の中を登った。備中松山城はこれまで訪れた他の現存十二天守とは違い、戦乱の真っ只中に築かれたため、天守はまさに戦(いくさ)仕様になっていた。高知城や宇和島城のような絢爛豪華な造りではなく、戦いのために考え尽くされた様子が感じとれた。
一番多かった戦国時代には、全国に大小3000もの城があったそうで、そのほとんどがわずか半世紀ほど建てられて、焼失してしまったと説明書きにあった。
その動乱激動の時代の城が、修繕を繰り返しながらも大切に守られていることに、ただただ驚いた。

現在は、日本一高い位置にある天守閣として有名だが、それよりも目を見張るものがたくさんあった。
4枚目の現存十二天守カードをゲットして、檜の林業が盛んな新見市へと、時の流れが一段と緩やかになっていくのを感じながら歩いた。

 この日記に書かれている場所はこの辺りです