人の歴史から生まれた美しさ
2018.04.13
ずいぶん前に、広島の山は?と聞いた時に、道後山(どうごやま)と教えてもらったことがあった。それ以来、道後山の名前は頭に染み付いたままだった。その道後山に今日これから登る。
初めて登るので、正直深い思い入れは無いのだが、何故か忘れずにいた山の名前、そこにこれから登るというのが少し不思議な感じだ。
麓の三坂の集落に住む方に話を伺うと、道後山も比婆山系の山と同じで、昔は砂鉄を採り、麓にはたたら場がいくつもあったという。その名残は、六の原製鉄所跡に鉄穴流し(かんなながし)があったように、ここ道後山にもあるようだ。さらに、その後、牛の牧場となった歴史も同じだ。
最後に地元の人にとって、どんな存在ですかと聞くと、「いつも見守ってくれていて優しく包み込んでくれる母のような存在」と教えてくれて、ここにも温かな山が一つあったと、印象に残る言葉だった。
時間と共に暖かく、気持ちいい日差しを浴びながら、スキー場脇の道を登って行く。道後山も標高1000メートルの月見ヶ丘までは車で上って来ることができるので、登山道はそこから先となった。
道後山は手前の岩樋山(いわひやま)の陰となり見えないが、三坂の方からいただいた地図を見ると、要所要所に見所があるようだ。
登山道にカナクソ(製鉄するさいにでる鉄屑)を使っているところや、鳥取県と広島県の県境には石垣が万里の長城のようにどこまでも続いているところなどを地図と照らし合わせながら、最初の山頂、岩樋山に登頂した。
岩樋山からの展望は最高だった。広大な草原の先に美しい道後山が見えた。
草原の中には、一本の登山道が道後山へと続き、僕が好きな景色が広がっていた。テンション上げ気味で、岩樋山からかけ下りて、道後山へと向かった。
広い山頂の道後山からは、昨日の吾妻山よりも、少しだけ近づいた大山がくっきりと見え、振り返れば中国山地の山々が見渡せた。
山頂でランチや昼寝をして特別な時間を過ごした。
西に太陽が傾き、風がひんやりしてから、麓へと下山、道後山も人の歴史が作り出した美しさが残る山だと感じ、四国へと一歩を踏み出した。
※六の原製鉄所跡
広島県庄原市西城町にあるたたら跡。
詳しくは、広島県教育委員会ホームページ「広島県の文化財」
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-206120800.html
※鉄穴流し(かんなながし)
砂鉄の採取方法のひとつ。
詳しくは、日立金属webサイト「たたらの歴史(中国地方におけるたたら)鉄穴流し」
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020605.htm
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