日記

本州一座目
2018.04.08

九州最後の英彦山(ひこさん)を出発してから16日目、ようやく本州最初の山となる三瓶山(さんべさん)が見えた。昨日の荒天により寒気が流れ込んだ影響で、三瓶山は雪化粧をしていたが、今日は天気も回復し、青空が広がっていた。
北西の冷たい風を体に受けながら、登山口となる西の原(にしのはら)を目指した。途中、池田という集落で1年の始まりを祝う例大祭が行われるということで、高田八幡宮に立ち寄ると、祭りは午後からということだったが、宮司さんが三瓶山の神話や伝説を教えてくれることになった。

三瓶山は大昔は佐比売山(さひめやま)と言われ、「国引きの神話」で八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が国を広くするために、新羅の国から土地を切り取り綱をつけて引き寄せたときに、(山を)杭として使ったという。その土地が今は島根半島となり、綱が薗の長浜(そののながはま)となったらしい。
三瓶山と呼ばれるようになったのはそれからあとのことで、大地震で佐比売山が崩れ、里が埋まり浮布池(うきぬののいけ)ができた。その時に三つの瓶が飛び出し、一つが物部神社に二つが浮布池に沈んだことにより、三瓶山と呼ばれるようになったと、こと細かく丁寧に解説してくださった。
また、三瓶山は麓の里にとって、大切な水瓶となり、人々の生活を今も支え続けているという。そして、三瓶山を形成する主に4つの峰には男三瓶山(昔は親三瓶山)、女三瓶山、子三瓶山、孫三瓶山と呼ばれているのは、人々が愛着をもって馴染みやすいようにしたからだろうとも教えてくれた。貴重な話を伺って、2年前よりも三瓶山との距離が縮まった気がした。

西の原で昼食をとってから、少し遅めに登り始めた。九十九折りの登山道を登っていくと、1,000メートルを越えた辺りから、眼下に野焼きされた西の原が見え、遊歩道がナスカの地上絵のように見えた。キツネか犬に僕は見えた。

そこから先は冷たい北西の風をまともに受けて、体感温度はグッと下がった。そして、雪に包まれた男三瓶山が見えて、先ずは一つ目のピークに立つことができた。
山頂からの展望は良く、うっすらと大山が見えたり、吾妻山や道後山のある中国山地の山々も見えたりした。さらに、宮司さんから解説いただいた国引きの神話を感じられる島根半島と薗の長浜も見ることができて、前回はほとんど山頂からの展望を見れていなかったと実感した。

避難小屋で少し休憩し、記録ノートに今回はしっかりと記録を残し、お鉢巡りにスタートした。今回は前回とは逆回りの時計回りとしたため、次は女三瓶山となった。4つの三瓶山の中で一番好きなのは女三瓶山からの眺め…山頂から見ると右から男三瓶山、子三瓶山、孫三瓶山と親子三世代がとなり、女三瓶山は何だか子を思う母のようにも思える。
そこからは太平山を経由して、孫三瓶山に登り、最後の子三瓶山に登って、全てピークに立つことが今回もできた。

最後に思ったのは、三瓶山のお鉢は山頂が頭で家族が手を取り合って山を形作っているように思えた。これもきっと、宮司さんのお話があったからだろう。
満足感を感じながら、こちらも2年ぶりとなる湯元旅館に夕暮れに到着した。一日の疲れを女将さんの笑顔と温泉で癒すことができた。

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