日記

長崎の日本一を探して
2018.03.09

予定では、普賢岳のあとは諫早市内を通らずに堤防道路で諫早湾をショートカットして、多良岳へ向かうはずだった。しかし、今回は通過する都道府県の日本一を探す旅でもあるため、そのまま多良岳に向かってしまったら、長崎県の日本一をすっ飛ばしてしまうことになってしまう。ということで、前日に地図を広げて日本一を探した。すると諫早市内に、日本で最初に石橋として、重要文化財に指定された眼鏡橋があることに気づいた。
熊本をはじめ、ここまでも日本一の石橋を数多く見てきたので、知らずのうちに石橋に興味を持つ自分がいた。

いつもよりもゆっくりと宿を出て、まっすぐ海抜低地の諫早市内には向かわずに、今もさまざまな理由で争い続けている諫早干拓のための全長7キロにもおよぶ堤防を歩いてから諫早市を目指した。堤防に打ち付ける有明海と静けさに包まれた諫早湾が対照的すぎて、感慨深くなった。

夕方、お目当ての眼鏡橋へ。今はもともとかかっていた本明川(ほんみょうがわ)から移設されているが、公園の池にかかる橋は、左右対称のキレイな眼鏡の形をしていて、お~と声が出た。また、こんな大きな石橋を移設したことにも驚いた。

眼鏡橋の歴史を紹介する案内板を読むと、大昔から、干満差が激しく干潮時に広大な干潟ができる有明海の影響を受け、がた土が川の河口部分に堆積するために、何度も水害がおこってしまう土地だったとあり、橋を架けては流されるを繰り返し、どんな大水でも耐えれる石橋を作ることは、住民の悲願だったそうだ。
しかし、町を救うはずだった頑強な石橋が、歴史的な大洪水によって、多くの犠牲者を出す要因になってしまったという悲しい歴史も知ることができた。

今も町を流れる本明川には当時の面影を残す飛び石が印象的だった。
モノを造り出す人の力はスゴいが、時に救うはずの力が、自分達に牙を向ける存在になってしまうことも、深く考えながら、自然のなかに造らなければいけないと学んだ。

※「諫早の眼鏡橋」についてもっと知りたい方は諫早市のwebサイトをご覧ください。
http://www.city.isahaya.nagasaki.jp/post03/1434.html

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