つながり
2018.02.06
椎葉村に入ってから4日目、休養と天候回復のために3泊した上椎葉の宿から国見岳の登山口近くの集落へ向けて出発した。
椎葉村は広い上に山が高く谷が深いため、同じ村内でも、遠くは20キロ以上も離れている。今は道が整備され、昔に比べればかなり集落間の移動も楽になったそうだ。この日も当時の状況を聞くことができた。
小学校は山の中腹に、大体のものが複数の部落の中間地点に建てられたり、集落間の行き来きのために、1,000メートルを超える峠まで生活道があったりしたそうだ。もちろん、移動手段はすべてが徒歩!昭和30年以降になってから、ようやく車が走る道路が整備されたという。
当時の生活の話を聞くなかでとても印象的だったのは「つながり」の話だった。椎葉村には10を超える集落があり、今もなお神楽や的射(まとい)など、伝統を守り継いでいるという。また、言葉や人柄も同じ村でも全く異なるそうだ。そのため、交流のない集落もあるという。
しかし、過疎化の現実は厳しく、伝統を継承していくにも、高齢化により難しくなっている。これまでの旅でも感じてきたが、高齢化や過疎化の現実に押され、無くなった集落をいくつも見てきた。椎葉村も例外ではない。このままでは、神楽や的射、伝統的な狩猟、焼畑などが消えてしまうと危機感を感じ、閉鎖的だった集落に新しい風を吹き込ませるために、外から人を受け入れる活動を20年ほど前から少しずつはじめたそうだ。それにより、尾向地区は村の中心地から20キロも離れているが、子供の数が2番目に多くなったという。
だが、話してくださったご主人はいう「まだまだ道なかば…昔のような活気を取り戻すためには、これからも神楽や焼畑農業など、つながりとなる伝統を絶やさないようにしなくてはいけない」と。
伝統を絶やしてしまうことで集落を守る「つながり」が無くなってしまうことを危惧していた。